2010年3月28日日曜日

映画いろいろ

ブログに書くような新聞記事も無いので、最近観た映画を3作ほど。


■エクトプラズム 怨霊の棲む家

1987年、コネチカットの町サジントン。メリデン・アベニューの長い間誰も住んでいなかった家に越してきたばかりの家族に、想像を絶する戦慄が襲いかかる・・・・・・。息子の癌治療のためにコネチカットの古い家に移り住むことになったキャンベル一家。一見、魅力的なビクトリア朝式の家に入居してまもなく、彼らはその家の不気味な過去を知ることになる。家の裏にある小さな墓地、地下室にある死体防腐処理室、そして不気味な死体の写真でいっぱいの引き出し。そう、彼らが移り住んだのは、じつは数十年前に葬儀場として使われていた家だったのだ。その事実が判明したのとほぼ同時に、一家は常識では説明できない超常現象を体験し始める。奇妙な物音や気温の変化、正体不明の“人物”の出現・・・・・・。だが、彼らは自分たちが何を相手にしているのかを知らなかった。

出演:バージニア・マドセン、カイル・ガルナー、マーティン・ドノバン、アマンダ・クルー、イライアス・コーティアス
監督:ピーター・コーンウェル

【公式サイトより】

見どころは、まぶたをハサミで切り取るシーンかな。あんまり覚えてない…。


■パラノーマル・アクティビティ

平凡な一軒家で幸せに暮す若いカップル。しかし毎晩寝付いた後に家の様子が変わっていることに気づく。少女の頃から不可思議なことが起き続けているケイティは、その原因 は自分にあるのではと感じていた。彼女の恋人であるミカは自分たちの家に起こっている”何か”をはっきりさせるため、生活の一部始終をビデオカメラで撮影することにする。テープが回り始め、ミカの執着が大きくなっていく一方で、ケイティは不安を募らせていた。なぜならその”何か”は、ビデオカメラで撮影されることを嫌がっているような気がしたのだ。ミカはケイティの忠告には耳を傾けず、自らの家と、自らが愛する女性を守るため、カメラを回し続けることを決断する。真夜中、2人が眠りについた後、何が起きているのか。ビデオには衝撃の映像が映っていた・・・。

出演:ケイティ・フェザーストーン、ミカ・スロート
監督:オーレン・ペリ

【公式サイトより】

モキュメンタリーの手法を使い、低予算でヒットしたということで、ブレア・ウィッチ・プロジェクトを彷彿とさせると言われている。上映時間が86分なんだけど、これが2時間だったら見ていられないな。作中にネタになるものが一つしか無いので、途中で少しダレる。ラストシーンは賛否あるだろうけど、まあ他に「終わらせ方」が無かったんだろうな。とりあえず、嫌いじゃないけど、前評判が過大評価だった感じ。


■インビクタス/負けざる者たち

その人の名は、ネルソン・マンデラ。南アフリカの大統領だったと言えば、遠い存在だと思うだろうか。けれども、彼の起こした”奇跡”に触れれば、あなたの中で、きっと何かが変わる――。それは1995年のこと。マンデラはラグビーのワールドカップで、国の恥とまで言われた南ア代表チームを初出場初優勝へと導いた。そして、その勝利の瞬間、一国の歴史が永遠に変わってしまったのだ。いったい彼はどうやって、この偉業を成し遂げたのか――?

出演:モーガン・フリーマン、マット・デイモン
監督:クリント・イーストウッド

【公式サイトより】

ノンフィクションです。実際にあった話。しかも、一口に「困難」なんて言っても、そのレベルは想像を絶する。こんなに心震える作品は久しぶりに観た。しかし残念なのは、映画という枠組みで作られたため上映時間が132分で、この話を伝えるには短すぎる。約2時間に収めるためにかなり端折っているので、テンポが良すぎてせっかくの重厚感が失われている。

▼関連商品▼

2010年3月13日土曜日

学者の本分

読売新聞2010年3月5日朝刊の記事を紹介する。少し長いが全文を掲載するため、読むのが面倒な方は下に要点をあげたのでそれを見てください。

拝啓 文部科学大臣様
著作刊行 学者の命綱
猪口孝 新潟県立大学

 学者は、真理のの追求に一生を費やす不思議な人種であることは間違いありません。その学者の世界は、要するに読み書きの世界です。よむと言う作業に革命をもたらしたのは、グーテンベルクによる活版印刷術の発明です。
 例えば仏教ではそれまで、写経と称して、極端な忍耐と持続力をもって筆を使い、経典を写しました。印刷術によって初めて様々な考えがとても広く読まれるようになりました。グーテンベルクなしに、今日の我々はないのです。
 とても広くといっっても、学者の書くものをたくさんの人が読むわけがないのは、動かしようのない事実です。広くとは、世界のあちこちの学者にという意味です。大臣に強く訴えたいのは、そのような世界に生息している学者の命の綱としているのが、印刷した著作だということです。
 命の綱なんて大げさな、という印象を持たれるかもしれませんが、これは紛れもない事実です。フランスの哲学者デカルトは「我思う、故に我あり」と宣言しましたが、学者の私はより正しいのは「我著す、故に我あり」だと信じています。書くことによって初めて考えをしっかりと伝える可能性が出てくるのです。
 問題は、印刷機械を動かして本や論文を刊行することが、ひどく難しいという現実です。これでは学者に死刑を宣告したようなものです。学者の本を刊行できる仕組みを作るべきです。
 第一に指摘したいのは、日本にも個々の大学に大学出版会がありますが、極端に零細で、信じられない位ひ弱であるということです。大学の歳入の幾分かを、しっかりと大学出版会の歳出として計上する必要があります。例えば、東京大学の歳入2000億円の0.1%だけでも2億円に上るのです。
 第二に、米国や英国などの学術出版社(大体が大学出版会)と、学術出版とは疎遠な日本の大手出版社との資本提携、経営統合を進めるべきです。執筆でも編集でも販売でも、対象が極めて小さい学術出版は、英語でないと経営がほとんど成り立ちません。
 日本が学術文化で世界の尊敬を集めるためには、グーテンベルクのような劇的革命を日本の出版会でも起こさなければなりません。大臣のご高配を切にお願いします。

要点は以下4点。

  1. グーテンベルク、活版印刷すげー
  2. 学者の著作をたくさんの人が読むわけがない
  3. 現在、本や論文を刊行するのが難しい
  4. 大手出版社は大学出版会を助けろ

1は仰るとおり。2も紛れもない事実。3は原因に2があるからどうしようもない。4は・・・???

よくわかんないんだけど、大切なのは「本」じゃなくて「本の中身」じゃないの?私は紙の書籍が無くなることはないと思ってるけど、紙で読む必要の無いものは沢山あると思う。一昔前なら紙に印刷する以外に複製・流通させる方法が無かったんだろうけど、今では電子データを地球の裏側に瞬時に届けることができるでしょ。

私の学生時代にもこういう教授は沢山いた。自分の著作を教科書として受講者に買わせることが唯一の楽しみなんだろうなー、というタイプ。ちょっとした小遣い稼ぎみたいな。まあ否定はしないけど、それを「命の綱」とか言われても困るよね。結局、コスト意識に欠ける学者たちが旧来の方式にこだわっているだけで、まったく本質的でない。

学者の本分が、学問を追求し、それを広めることであるなら、採算の取れない「本」ではなく、中身のある論文をネットで発表すればいいじゃないか。学者の本なんて多くても数千部くらいでしょ。どうせ広めたいなら60億人を相手にすればいいのに。まあ中身が無ければ今以上にスルーされるだけだろうし、それが怖いのかもねえ。

時代の変化とともに変わるもの、変わらないもの、変わるべきもの、変えてはいけないもの、変わらざるを得ないもの、などなど。色々な考え方があるだろうが、極端に変化を拒む者は文化を停滞させる。こういう人が学長では学生が可哀想だね。

そういやこの人は以前の記事でもトンチンカンなこと言ってたんだっけ。

▼関連書籍▼