2010年3月13日土曜日

学者の本分

読売新聞2010年3月5日朝刊の記事を紹介する。少し長いが全文を掲載するため、読むのが面倒な方は下に要点をあげたのでそれを見てください。

拝啓 文部科学大臣様
著作刊行 学者の命綱
猪口孝 新潟県立大学

 学者は、真理のの追求に一生を費やす不思議な人種であることは間違いありません。その学者の世界は、要するに読み書きの世界です。よむと言う作業に革命をもたらしたのは、グーテンベルクによる活版印刷術の発明です。
 例えば仏教ではそれまで、写経と称して、極端な忍耐と持続力をもって筆を使い、経典を写しました。印刷術によって初めて様々な考えがとても広く読まれるようになりました。グーテンベルクなしに、今日の我々はないのです。
 とても広くといっっても、学者の書くものをたくさんの人が読むわけがないのは、動かしようのない事実です。広くとは、世界のあちこちの学者にという意味です。大臣に強く訴えたいのは、そのような世界に生息している学者の命の綱としているのが、印刷した著作だということです。
 命の綱なんて大げさな、という印象を持たれるかもしれませんが、これは紛れもない事実です。フランスの哲学者デカルトは「我思う、故に我あり」と宣言しましたが、学者の私はより正しいのは「我著す、故に我あり」だと信じています。書くことによって初めて考えをしっかりと伝える可能性が出てくるのです。
 問題は、印刷機械を動かして本や論文を刊行することが、ひどく難しいという現実です。これでは学者に死刑を宣告したようなものです。学者の本を刊行できる仕組みを作るべきです。
 第一に指摘したいのは、日本にも個々の大学に大学出版会がありますが、極端に零細で、信じられない位ひ弱であるということです。大学の歳入の幾分かを、しっかりと大学出版会の歳出として計上する必要があります。例えば、東京大学の歳入2000億円の0.1%だけでも2億円に上るのです。
 第二に、米国や英国などの学術出版社(大体が大学出版会)と、学術出版とは疎遠な日本の大手出版社との資本提携、経営統合を進めるべきです。執筆でも編集でも販売でも、対象が極めて小さい学術出版は、英語でないと経営がほとんど成り立ちません。
 日本が学術文化で世界の尊敬を集めるためには、グーテンベルクのような劇的革命を日本の出版会でも起こさなければなりません。大臣のご高配を切にお願いします。

要点は以下4点。

  1. グーテンベルク、活版印刷すげー
  2. 学者の著作をたくさんの人が読むわけがない
  3. 現在、本や論文を刊行するのが難しい
  4. 大手出版社は大学出版会を助けろ

1は仰るとおり。2も紛れもない事実。3は原因に2があるからどうしようもない。4は・・・???

よくわかんないんだけど、大切なのは「本」じゃなくて「本の中身」じゃないの?私は紙の書籍が無くなることはないと思ってるけど、紙で読む必要の無いものは沢山あると思う。一昔前なら紙に印刷する以外に複製・流通させる方法が無かったんだろうけど、今では電子データを地球の裏側に瞬時に届けることができるでしょ。

私の学生時代にもこういう教授は沢山いた。自分の著作を教科書として受講者に買わせることが唯一の楽しみなんだろうなー、というタイプ。ちょっとした小遣い稼ぎみたいな。まあ否定はしないけど、それを「命の綱」とか言われても困るよね。結局、コスト意識に欠ける学者たちが旧来の方式にこだわっているだけで、まったく本質的でない。

学者の本分が、学問を追求し、それを広めることであるなら、採算の取れない「本」ではなく、中身のある論文をネットで発表すればいいじゃないか。学者の本なんて多くても数千部くらいでしょ。どうせ広めたいなら60億人を相手にすればいいのに。まあ中身が無ければ今以上にスルーされるだけだろうし、それが怖いのかもねえ。

時代の変化とともに変わるもの、変わらないもの、変わるべきもの、変えてはいけないもの、変わらざるを得ないもの、などなど。色々な考え方があるだろうが、極端に変化を拒む者は文化を停滞させる。こういう人が学長では学生が可哀想だね。

そういやこの人は以前の記事でもトンチンカンなこと言ってたんだっけ。

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