2010年10月8日金曜日

痛いなー

あまりにも面白かったので晒しあげ。
読売新聞2010年10月7日朝刊の人生案内より。

50代女性 婚活・就活に疲れた

■相談(東京・K子)
 50代前半の女性。いまだに婚活と就活をしています。自分でもまさかの状況です。母親も同じことを考えているでしょう。そう思うとつらいです。
 結婚できない理由はないのです。私は美人とは言えませんが、ごく普通の女性。旅行もスポーツも映画も楽しみ、出会いもあってお付き合いしたこともありました。ただ、20代で相手を振ってしまった後、ずっと振られ続けています。負け組になるとは思っていませんでした。一向に結婚相手が見つからない上に就職先もなく絶望的な気持ちです。
 父は亡くなり、母も老人と呼ばれる年齢になってしまいました。自分も母もかわいそう。できることをやっていくしかないと思い、開運グッズを買ったり手相を見たり。自己啓発の本やCDを入手し、自分のことを好きになれるように、前向きな言葉を声に出して言ってみたりもしました。なぜこんなにみっともない最低の状態が続くのか。毎日が苦しく、人生に疲れました。何かアドバイスをお願いします。

■回答(海原純子・心療内科医)
 就活と婚活中で人生に疲れたというご相談ですが、経済的な不安が書かれていません。生活に困らない恵まれた環境の中で過ごされてきたのでしょうか。まるで夢見る乙女のようなお手紙です。
 あなたに、まずしていただきたいのは、「たら」「れば」をやめることです。結婚したら、結婚すれば幸せになれる訳ではありません。第二に、開運グッズで幸せはやってきません。第三に日常生活の家事や母上の世話などを心を込めてすることです。
 かつて、人間の幸せは1年の終わりに前の年より少し進歩しいい人間になったことを感じることだ、と述べた思想家もいます。今からでも、少しずつ本を読んだり勉強したりしてみては。何を読んでいいかわからなければ、古典の名作といわれる文学や歴史をお勧めします。その中の様々な人物の生きざまは、あなたにヒントを与えてくれるはず。そして、そのヒントは、みなそれぞれ自分が探し出すものなのです。


・ポイント
「結婚できない理由はないのです」
  →えっと、独身ですよね、、、
「ごく普通の女性」
  →ではないので今があるのでは、、、
「負け組」
  →自分を棚にあげて、自分や自分と同じ状況の人を見下してるようで、、、
「母も老人と呼ばれる年齢に」
  →えっと、あなた(50代前半)が立派な老人ですが、、、
「自分も母もかわいそう」
  →えっと、お母さん【が】かわいそう、、、
「開運グッズ・手相・自己啓発」
  →夢見る夢子ちゃん、、、
「みっともない最低の状態」
  →自分を棚にあげて、自分や自分と同じ状況の人を見下してるようで、、、
「毎日が苦しく、人生に疲れました」
  →死ねば助かるのに・・・(カイジ)

2010年9月25日土曜日

映画盗撮防止法について

法律の専門家じゃないので間違いがあったら教えてくれるといいなー。

読売新聞2010年9月24日朝刊から。

「個人鑑賞が目的」 映画盗撮 不起訴に

 小型ビデオカメラを使って映画を盗撮したとして、映画盗撮防止法と著作権法違反で追送検された金沢市岩出町、元同市職員・中島護被告(49)(ストーカー規制法違反で起訴)について、金沢地検は22日、不起訴(起訴猶予)にした。地検は「盗撮は個人鑑賞が目的で、悪質とまでは言えない」としている。
 映画盗撮防止法は、盗撮された映画が史上に出回ることで、映画産業が損害を被ることを防ぐのが目的。2007年に施行され、同法の適用は全国初だった。


ストーカー云々はとりあえず無視。
で、まずは前提知識を。

著作権法第三十条(引用サイト
著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。

映画盗撮防止法(引用サイト
映画館における映画の録音・録画を原則として「盗撮」と扱い、私的使用を目的とした著作物の複製には著作権が及ばないとする規定(著作権法30条1項)を適用しないこととした。その結果、映画の盗撮(音声の録音を含む)は原則として著作権(複製権)の侵害となり、刑事罰の対象になる。

大雑把にまとめる。

著作権法
勝手に複製しちゃダメ! 例外規定として、私的使用目的に限って複製OK!

映画盗撮防止法
著作権法の例外規定は適用しない! 私的使用目的だろうがダメなものはダメ!


で、冒頭の記事によると金沢地検は「盗撮は個人鑑賞が目的で、悪質とまでは言えない」とコメントしているんだけど、悪質かどうかや個人鑑賞目的かどうかはどーでもよくて「撮ったらアウト!」としている映画盗撮防止法的にそれでいいのか?

今回は「宇宙戦艦ヤマト復活編」の1本だけが発覚したらしいが、これがもしも100本、1000本と発覚したらどうだったのだろう。それでも、個人鑑賞が目的で流出させる意図が無ければ不起訴となるのだろうか。検察の恣意的判断により異なる結果が出たりしないのかなー。

ちなみにこの記事はニュースになってから2日とたたずに各種ニュースサイトから削除されてしまったので元記事のリンクが貼れなかった。もうすこし残しておいてほしいなー。で、参考にしたサイトたち。最後ひとつは個人ブログです。勝手にリンクしてます。

一般社団法人日本映画製作者連盟
Wikipedia
2ちゃんねるのアーカイブかなんか?
前から後ろから!

Wikipediaをソースにすんな!とか言わないでね。たぶん私よりは物知りなんだから!

追記
エネーチケーに記事が残ってた。
さすがエネーチケー。

2010年8月1日日曜日

出口が無い

読売新聞2010年7月31日朝刊の編集手帳を紹介する。

与謝野晶子の歌にある。〈腹立ちて炭撒きちらす三つの子を為すに任せて鶯をきく〉。癇癪を起こして部屋を汚す3歳児を叱るでもない。後始末をするでもない。母は悠然とウグイスの声を聴いている◆晶子は11人の子をもうけた。生涯に5万首の歌を詠み、膨大な文章をつづり、苦しい家計をやりくりした人は、この図太さで子育てを乗り切ったのだろう◆育児放棄の悲劇に接するたび、この歌が浮かぶ。部屋は汚れてていい。ズボラでいい。食事と健康にだけ目を配り、あとは晶子流で図太く構える。できなかったか、と◆大阪市内のマンションで、3歳と1歳の幼児が遺体で見つかった。逮捕された母親(23)は「育児がいやになった」と供述している。食べ物も水も与えられたなかったのだろう。児童相談所にはこれまで、近隣の住民から虐待を疑う通報があり、職員が計5回にわたって訪問している。いずれも応答がなく、ドアは施錠されていたという。またしても瀬戸際の命を救えなかった◆長女は「桜子」ちゃん、長男は「楓」ちゃんという。その花と葉が季節を彩るころに生まれたか。美しい名前が哀しい。

桜子と楓。いい名前だな。報道によると母親はブログに「可愛い娘と毎日をのほほんと過ごせることが本当に幸せなことなんだとなんだかふと思いました」、「子どもが元気ないことほど、心が痛いことはありません」、などと綴っていたそうだ。産み捨てる母親がいる世の中で、ここまでは順調だったのに。

繰り返される悲劇に目の前が暗くなる。

2010年7月17日土曜日

この子の人生に意味はあったのか

読売新聞2010年7月16日朝刊の編集手帳を紹介する。

詩人まど・みちおさんに『まわって あそぼう』という一編がある。〈いそいで まわろう/ぐるぐる ぐるぐる/いそげば けしきも/おおいそぎ/ぐるぐる ぐるぐる/めもまわる〉◆遊園地のメリーゴーラウンドはいつも、幼い歓声に包まれている。日曜日の公園に行けば、お父さんやお母さんに抱き上げられ、ヘリコプターのプロペラのようにまわっている子がいる。「まわる」ことは子供たちにとって至福の時間のはずである◆その子もまわった。木馬の上でも、親が差し上げた腕の上でもない。洗濯機のなかである◆福岡県久留米市で、5歳の女の子、萌音(もね)ちゃんが母親に首を絞められて死亡した。逮捕された母親(34)は、手足をひもで縛って洗濯槽に座らせる虐待をしていたと供述し、「洗濯槽に水を入れてふたを閉め、スイッチを入れて回転させたことも何度か、あった」という。しつけのためだった、そう供述している◆死ぬ間際、萌音ちゃんがこの世の名残に思い浮かべた景色は何だったろう。耳に残した音は何だったろう。洗濯槽の壁か。あの振動音か。どうか、ほかのものであってほしい。

読みながら涙がこぼれました。事情は当人にしかわからない。私は子供がいないから子を持つ親の気持がわからない。ただこうして涙を流すだけです。世界はそれでも回り続けます。どうすればいいのかわかりません。本当に悲しい。若い頃はこんなこと思いもしなかった。歳を取るってこういうことなんでしょうか。久しぶりのブログにこんな青臭いことを書くとは思いもしませんでした。世間の学校では今日から夏休みですかね。子供たちにはたくさん遊んでほしいです。

2010年5月30日日曜日

映画いろいろ Part3

観た映画の駄文とか書いたり。


■シャッターアイランド

密室状態の島から女性患者が消えた!

ボストンの遙か沖合に浮かぶ孤島、”シャッターアイランド”。そこには、精神を患った犯罪者を収容するアッシュクリフ病院がある。1954年9月、連邦保安官のテディ・ダニエルズ(レオナルド・ディカプリオ)は、新しい相棒のチャック(マーク・ラファロ)と共にその島へやって来た。目的は、女性患者の失踪事件の捜査だ。患者の名前は、レイチェル・ソランド(エミリー・モーティマー)。3人の我が子を溺死させた罪でこの島に送られた彼女は、前夜、鍵のかかった病室から煙のように消えてしまったのだ。その姿は島内になく、島外へ脱出した形跡も見当たらない。いったいレイチェルはどこへ行ったのか?唯一の手がかりと呼べるのは、彼女が部屋に残した1枚の紙きれ。そこには「4の法則」と題した暗号が記されていたが、それはレイチェルが狂っていること以外、何も語っていないように見えた。

保安官テディと放火魔レディスの因縁

病院の医長であるジョン・コーリー(ベン・キングズレー)から事情説明を受けたテディとチャックは、自分たちと入れ違いに休暇で島を離れたいうドクター・シーハンが事件に関与していると推測。レイチェルとシーハンの関係について、患者たちへ聞き込みを開始する。その聴取の中で、「アンドルー・レディスという名の患者を知らないか?」という質問を繰り返すテディ。それが失踪事件と無関係な質問であることに気づいたチャックは、怪訝な表情を浮かべる。「レディスって誰だ?」。チャックの疑問に応えてテディは語り始める。自分が失踪事件の担当を志願したのは、別の目的を果たすためであることを・・・・・・。テディの真の目的――それは復習だった。最愛の妻ドロレス(ミシェル・ウィリアムズ)をアパートの火災で失ったテディは、放火魔のレディスがアッシュクリフに収容されていることを知り、探していたのだ。だが、患者の聴取からレディスに関する情報は何もつかめなかった。それどころか、レイチェル失踪事件についても何の手がかりも得られない。事態が進展しないことに苛立つテディ。そこに、「レイチェルが見つかった」という知らせがもたらされる。失踪の真相をつきとめようと、さっそくレイチェルと面談するテディだったが、錯乱状態にあるレイチェルは、彼を自分の夫だと思い込み、記憶の中にある過去を語るだけだった。

島に閉じ込められたテディの運命は・・・!?

失踪事件の捜査という表向きの任務は終えたものの、ハリケーンの直撃を受けた島から出られなくなったテディとチャックは、島で3日目の朝を迎えた。停電の混乱にまぎれて、レディスの捜索を始めるテディ。チャックも彼に協力するが、いつの間にか姿が見えなくなってしまう。慌ててチャックを探し始めたテディは、崖の斜面の洞窟に1人の女性が潜んでいるのを発見する。もしかしたら彼女こそが本物のレイチェルなのではないか?疑念を盛ったテディに向かって、女性は驚くべき一言を発する。「あなたは島から出られない。わかっているでしょう?」。その瞬間、テディの脳裏にひらめきが走る。妻の復讐の目的で島へ乗り込んできた自分だが、もしかしたら反対に島におびき寄せられたのではないか。そう考えれば、島に来て以来の体調の悪化も納得がいく。しかし、それが本当なら、誰が何の目的でテディを島へ呼び寄せたのだろう?レイチェルを、レディスを、さらにチャックさえも呑みこんだこの島は、テディに対して何をたくらんでいるのか?「4の法則」は、いったい何を意味するのか?そして、島の灯台で行われているという人体実験の噂は本当なのか?解こうとすればするほど深まる謎の中で身悶するテディ。果たして彼は、この島へ来真の目的を果たすことができるのか?

出演:レオナルド・ディカプリオ、マーク・ラファロ、ベン・キングズレー、ミシェル・ウィリアムズ、マックス・フォン・シドー
監督:マーティン・スコセッシ

【公式サイトより】

ディカプリオ主演ということで全く期待していなかっただけに、良い意味で予想を裏切られた。こんなに狂った作品で狂った役柄を演じるとは知らなかった。ストーリーは正直なところ先がある程度読めてしまうんだけど、ディカプリオのキチガイじみた演技と、ところどころで効果的に使われる不思議な映像で、最後まで飽きずに観られた。ただ、本編直前の「メッセージ」や、「謎」を強調した各種PRは、ちょっとやりすぎ。そこまで煽らなくても十分楽しめると思う。


■第9地区

南アフリカ上空に突如現れた正体不明の宇宙船

襲い掛かることもなく、難民として降り立った”彼ら”との共同生活はそこから始まった。それから28年後、増え続ける犯罪に市民と”彼ら”の争いは絶えず、共同居住区”第9地区”はスラムと化していた。超国家期間MNUは、彼らを強制収容所に移住させる計画を立て、ヴィカスという男にその任務を託す。彼は立ち退きの通達をして回るうち、知らずに人類と”彼ら”の歴史を変える大事件の引き金をひいてしまう――。

出演:シャルト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ、ヴァネッサ・ハイウッド
監督:ニール・ブロムカンプ

【公式サイトより】

いわゆるエイリアン物としてはなかなか面白い視点で作られてる。ネタ的にはアリ。アリなんだけど、ネタがネタだけに、テンポが悪く感じてしまう。この内容で111分は長いわ。しかし南アフリカとはこれまた面白いところを舞台にしたな、と思って公式サイトを見てたら、出演・監督みんな南アフリカの人だった。南アフリカといえば先日観た「インビクタス」を思い出すが、あの土壌でこの作品が生まれたと思うと、面白い国だな。


■ハート・ロッカー

2004年夏。イラク、バグダッド郊外。アメリカ軍の爆発物処理班は、死と隣り合わせの前線の中でも最も死を身近に感じながら爆弾の処理を行うスペシャリストたち。ある日も爆弾の処理を行い、退避しようとした瞬間に突如、爆弾が爆破。一人が殉職してしまう。新しい中隊のリーダーに就任したウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)は、基本的な安全対策も行なわず、まるで死に対する恐れが全くないかのように振舞う。
補佐に付くJ.T.サンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)とオーウェン・エルドリッジ技術兵(ブライアン・ジェラティ)は、いつ死ぬかもしれない緊張感、特に一瞬の判断のミスが死に直結する爆発物処理の任務のなかで、徐々にジェームズへの不安を募らせていく。彼は、虚勢を張る只の命知らずなのか、それとも勇敢なプロフェッショナルなのか…。そんな男たちの想いとは無関係に激しい戦闘行為が繰り返される日常は続き、爆弾処理の毎日が過ぎていく――。ブラボー中隊、任務明けまで、あと38日。

出演:ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキー、ブライアン・ジェラティ他
監督:キャスリン・ビグロー

【公式サイトより】

アカデミー賞はこれほどまでに腐っていたか。というくらいの駄作。アメリカ人の頭の悪さをひたすら描き続けているだけ。頭ん中が腐ってんだろな。そして腐ったミカンは自身が腐ってることにすら気づかない。やっぱりアメリカはすげーな。ビバ、USA!

2010年5月22日土曜日

第12回 国際バラとガーデニングショウ

に、行ってきました。まさに念願叶ったり。ここ5年くらいずっと行きたいと思っていたけど、結局毎年お仕事で諦めていたので。

というわけで、土曜日なのにいつも通りの時間に起きて一路西武ドームへ。が、意外と渋滞がひどくて西武ドーム直前で車がほとんど進まなくなり、仕方がないので西所沢付近でコインパーキングに。んで、電車で2駅揺られていざ西武ドーム。想像以上に混雑しててビックリ。まあ12回も続くくらいだからそれなりに盛況でした。グラウンドに降りて各ブースを舐めるように見て写真もいっぱい撮ってきました。見たことがないバラも多くて驚いた。コンテストのバラはそれぞれが本当に綺麗に咲かせていて、ただただ感動。

全部を見て回ったらお昼になってたので、薔薇ちらし御膳なる弁当を購入。どこを見てもバラっぽいものは入っておらず。ペロっと紙をめくったら『京樽』と書かれておりました。

そして、なぜか電車が銀河鉄道999仕様でした。

2010年5月16日日曜日

3つの声

最近行ったライブを2本ほど紹介。


■レジーナ・スペクター at ビルボードライブ東京
2010年5月6日(木)

待ちに待った生レジーナ・スペクター。一言、たまらん。彼女の声に包まれたあの時間は生涯忘れないでしょう。そして僅かなMCから漂うチャーミングなキャラクター。わたくし年甲斐もなく恋してしまいました。ピアノになりたいと思いました。ええ、変態です。ちなみに今回はチェロとヴァイオリンも加わった編成で、これまた最高でした。映画「(500)日のサマー」のおかげで彼女を知る人が増えたのは嬉しいけど、もっともっと多くの人に聴いてほしい。レジーナ・スペクターを知らない人は、YouTubeでいいから「レジーナ・スペクター」、「Regina Spektor」で検索して、何曲か聴いてみてください。

今回の会場、ビルボードライブ東京へ行くのは初めてでした。六本木といえば個人的にはSTB139スイートベイジルが大好き。最近行ってないな。ビルボードライブ東京はミッドタウン内ということで、ミッドタウンも初めてで。店内は落ち着いた雰囲気で良かった。3フロア?にわかれていて、ステージと同フロアの一番前の席は本当にかぶりつきで手が届くくらいの距離。僕は、スイートベイジルでもそうなんだけど、一番上のフロアのカウンター中央あたりに。音は若干ぼやけるけど、会場全体の雰囲気を楽しめるので。


■cafe mimo~桃節句茶会~Vol.10“Deluxe” at 草月ホール
出演:遊佐未森
ゲスト:鈴木重子(Vo)、渡辺等(B)
2010年5月15日(土)

遊佐未森、15年以上前から顔と声は知ってるものの、CDを1枚も持っておらず、まともに知ってる曲は1曲も無い。なのになぜ行ったかというと、鈴木重子が好きだから。彼女のライブはもう数年ご無沙汰だったんだけど、たまたま思い出してぴあで検索してみたら今回のライブがヒットして。メインは遊佐未森なんだけど、1度くらいちゃんと聴いてみるか、と思って。詳しくないから適当なことしか言えないんだけど、15年前から顔も声も全然変わってないんじゃないか、と思うくらいそのままだった。奇跡の46歳ですよ。恐るべし、遊佐未森。曲は前述の通り1曲も知らないんだけど、聴いていて気持ちよくなる曲ばかりでしたよ。で、鈴木重子とのコラボはお互いの曲を数曲と、ボッサの名曲ソダンソサンバ、などなど。遊佐未森のクリアな声と鈴木重子のハスキーボイスは意外なほどマッチしていて美しかった。

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2010年5月8日土曜日

映画いろいろ Part2

観た映画の駄文とか書いたり。


■シャーロック・ホームズ

世界は初めてのシャーロック・ホームズに出会う――史上最高の名探偵、最大の謎に最強コンビで挑む!
世界のどこへ行っても、史上最高の名探偵は誰かと聞けば、”シャーロック・ホームズ”という答えが返ってくるだろう。19世紀後半に誕生して以来、今も変わらず愛され続けている名探偵が、映画になってやって来る。しかし、本作で私たちが出会うのは、初めてのシャーロック・ホームズだ!
超人的な観察力、記憶力、推理力を備えた最高の頭脳はそのままに、新しいホームズは、ときに拳の力で真相を突き止める。驚くべきことに彼は、熟練した武術家でもあるのだ。犯罪との戦いでは、完璧な理論と科学的な根拠はもちろん、格闘能力も武器になる。舞台は19世紀末、ロンドン。進歩する世界の中心地であり、あらゆる悪がはびこるこの街で、事件が発生した!若い女性が次々と不気味な儀式を思わせる手口で殺され、ロンドン警視庁は解決の糸口さえつかめない。だが、心配はいらない。この街にはホームズがいる。彼はたちまち犯人を突き止める。逮捕されたのは、邪悪な黒魔術を操る男、ブラックウッド卿。彼は巨大な闇の力とのつながりをほのめかし、処刑されても復活すると宣言する。真の事件はここからだった。予言通り蘇ったのだ。ブラックウッド卿の目的は、大英帝国の権力を握る秘密組織の頂点に立ち、全世界を転覆させて悪で支配するということだと言うのだ。
前代未聞の大事件の勃発に人々がパニックに陥る中で、ホームズだけは胸を踊らせていた。過去の事件は簡単すぎた。遂に最大の謎に挑めるときが来たのだ。しかもホームズには優秀な相棒、ジョン・ワトソン医師がいる。しばしば暴走してしまう天才ホームズと、冷静かつ常識的に行動するワトソン。正反対のふたりはケンカが絶えないが、厚い信頼と友情で結ばれている。
最高の頭脳が、最大の事件に、最強のコンビで挑む。果たして、勝負の行方は――?

出演:ロバート・ダウニー・Jr、ジュード・ロウ他
監督:ガイ・リッチー

【公式サイトより】

恥ずかしながら本家シャーロック・ホームズを1冊も読んだことが無いので、比べられません。だけど、「なんか違う」と思いました。ワトソンの婚約者が可愛かった。他には、、、これといって感想がありません。それくらい何も残らない作品だった。ジュード・ロウが好きな人は観ればいいんじゃないかね。つーか、公式サイトのSTORY、長いよ。


■NINE

チネチッタNo5スタジオの重い扉が開く。ひとり静かに入ってくる男。彼は天才映画監督、グイド・コンティーニ。だが、面持ちはさえない。撮影開始の日も間近なのに、大きな問題が横たわっていた。脚本がまだ一行も書けていないのだ!もがき苦しみながら彼が選んだ道は、自分の弱さを包みこんでくれる、愛する女たちのもとに逃げ込むことだった。かつて女優であり、一番の理解者の良き妻。全てを忘れさせてくれる可愛い愛人。自分の映画に欠かせない美しき大女優。初めて『男』として目覚めさせてくれた海辺の娼婦。そして心から甘えさせてくれたママへの妄想。そこにいるのは愛を選びきれない一人の男と、そんな男でも愛さずにいられない女たち……。そして、クランクイン目前、グイドはある決断を下すのだった。

出演:ダニエル・デイ・ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、ステイシー・ファーガソン、ケイト・ハドソン、ニコール・キッドマン、ソフィア・ローレン他
監督:ロブ・マーシャル

【公式サイトより】

一言で言うと「薄い」。この前に観たシャーロック・ホームズは結構ヒドイと思ってたのに、それを凌ぐ薄さ。監督が何を観せたいのか、全く伝わらない。ミュージカル映画をあんまり観ないので、もしかしたらそういうものなのかもしれないし、単純に自分の嗜好に合わなかっただけかもしれない。ダンスシーンはなかなかだったんだけど、スクリーンの平面で観てもねぇ…。舞台で観ればもっと良かったんだろうけど、それじゃミュージカル映画の全否定か。とりあえず、綺麗な女優たちのソフトなエロが観れるので、そういうのが好きな人も楽しめるんじゃないかな。


■シェルター

カーラは、解離性同一性障害疾患を認めていない精神分析医。ある日、デイヴィッドと名乗る男の診察を始めると、別人格が現れた。このケースも単に彼が周囲を混乱させる愉快犯だと考えたカーラは、彼の身辺を探る内に、デイヴィッドとは25年前に亡くなった故人であることが判明する。その間にもデイヴィッドの人格は次々と入れ替わり、カーラの疑念は深まっていく。そしてカーラが導かれるようにして辿り着いた先は、時代に葬られていた血塗られた歴史だった…。彼は、ただの妄言者なのか。それとも現代に甦った滅びの使者なのか。この男に潜む闇は、科学では説明の付かない闇。決して触れてはいけないものだった――。

出演:ジュリアン・ムーア、ジョナサン・リス・マイヤーズ他
監督:マンス・マーリンド

【公式サイトより】

主人公カーラの父親がマンガのキャラみたいで萎えた。さらに後半に登場する奴もマンガのキャラみたいで、もうね…。ありえない話をするにもやり方があるだろうに。ラストシーンで、結局助かっちゃうのかよ!と突っ込みを入れたくなった直後のアレは少しゾっとしたけど、ありがちっちゃーありがち。

2010年5月5日水曜日

さいたま~金沢~名古屋~さいたま

4/30(金)の夜、仕事から帰ってきて次の日からの5連休をどうしようかと考え、どこかに行こうとグーグルマップで日本地図を眺める。目に付いたのが能登半島。輪島塗りくらいしか知らないけど、とりあえず行ってみるか。

というわけで風呂入って出発したのが30日(金)の23:30頃。ナビの示すまま高速に乗り、途中で適度に休憩・仮眠を取り、1日(土)の昼前に金沢市内に到着。ちなみに後部座席を倒すとフラットになるのでちゃんと横になれた。

能登半島に行くはずだったけど、金沢市内を走ってると道路標識に「兼六園」と書いてある。なるほど、兼六園があったか、というわけで、兼六園へ。1時間ほどかけて園内を散策してから、美味い寿司を食おうとネットで探した乙女寿司という店が見つからず、仕方なく入った千鳥寿司という店で腹ごしらえ。近所の回転寿司レベルの寿司を堪能して、疲れたのでネットカフェで仮眠。

気付くと夕方になっていたので能登半島にむけて出発しようかと思ったけど、能登半島に行くと帰りはほぼ同じ道を戻ってくることになり、それはツマラナイので別の目的地を探そうとグーグルマップを眺めると、本州を縦断して名古屋に繋がる道があることがわかったので、じゃあその方向で。

山の中の真っ暗な道は結構怖い。途中、道路脇の温度計が1℃だった。なるほど、ここは日本の屋根、飛騨なのか、とか思いながら適度に休憩を取りつつ23時頃には名古屋に到着。名古屋駅から少し離れたところのネットカフェで朝まで睡眠。

起きたら予想以上に疲れていることがわかったので、予定していた名古屋城散策はあっさりパス。ドラゴンボールZを見終わってから、名古屋での目的であるひつまぶしを食べるためお店を探し、名鉄百貨店内の「まるや本店」へGO。11時開店だから10時過ぎに行けば1番乗りだろうと思ったら既に10人ほど並んでた。まったくどこまで食いしん坊な奴等だ。肝心のひつまぶしは可もなく不可もなく。まあ、美味しかったですよ。

Uターンラッシュは3日から始まると聞いていて、今日(2日)中に帰りたかったので、ひつまぶしをサクっとたいらげ、一路東名高速へ。腹ごしらえの後で急激に眠気が襲ってきたので浜名湖SAで仮眠。駐車するまでに30分くらいかかったのは想定外。もしや既にUターンラッシュは始まっているのか、と思ったけど結構すいすい進む。が、厚木IC手前でついに渋滞。龍馬伝が始まる20時には家に着きたかったが叶わず。

というわけで、2日間の強行スケジュールは終了。起きている間はほとんど運転し続けていたのでカラダのあちこちが凝ってました。次の長期休暇は夏休みですね。どうしようか。

ちなみにETCを搭載していないため上限1000円割引が効かず、高速料金だけで2万円くらいかかりました。

最後に、適当に撮った写真を適当に載せておこうかと。



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2010年4月18日日曜日

子供の名前

読売新聞2010年4月9日朝刊の記事を紹介する。

「玻」は人名に使えず 最高裁が抗告棄却

 次女(1)に「玻南(はな)」と名付けた名古屋市東区の両親が、「玻」が人名用漢字ではないとして出生届を受理しなかった同区長の対応を不当だとして、受理を求めた裁判の特別抗告審で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は「『玻』の字が社会通念上、常用平易な文字であるとはいえない」として両親の申し立てを却下した名古屋高裁決定を支持し、抗告を棄却する決定をした。決定は7日付。

 両親は2008年、旧約聖書に登場する女性「ハンナ」や、七宝の一つとされる玻璃(水晶)にちなみ、「玻南」と名付けて出生届を出したが、同区長は戸籍法などで名前に使うことを認められた漢字ではないことから受理しなかった。

別にいいじゃんねぇ。玻南(はな)、ギリギリ読めるよ。しかもこれといってネガティブな意味がある漢字じゃないんでしょ?こんなん規制する前に、こいつらをどうにかしろ。とにかく、漢字本来の「読み」を無視した名前は禁止にしろ。この際、どんなにおかしな名前でも、とりあえず読めればいいよ。それでも、どうしてもその「音」の名前を付けたいなら、平仮名か片仮名でいいだろ。馬鹿が無理して漢字を使わなくていいから。

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2010年4月11日日曜日

格差の本質

読売新聞2010年4月11日朝刊の社説より。

ライター火災 政府は速やかに安全対策を

もうね、アホかと。

どう見ても親の責任でしょ。安全対策?たしかに必要だろうけど、親の自覚の足りなさ以外の何物でもない。最後の一行に申し訳程度に「家庭も気を付けましょう」とか書いているけど、まずそれだろ。

安全対策するので、頭の悪い親は頭の悪いままでいてください。そうすることで「智の格差」がどんどん広がり、我々賢い人間は、より快適に暮らせるようになります。

現在の経済的格差社会は、一部の特権階層による昔から連綿と続くこうした草の根活動が実った結果じゃないのか?

一時的な現金による手当などというまやかしを続けていると、ますますおかしなことになると思うよ。
じゃあどうすればいいか。
頭の悪い親が、もっと頭を使うしかない。
まやかしに気付く「智慧」を獲得しなければならない。
それにはどうすればいいのか。
子供の頃から沢山の物を見て、沢山の人に出会い、沢山の話を聞き、沢山のことを考える。できるだけ情報の一次的遮断をしないで、まずは受け入れ、そして考える。

あれ? 頭の悪い親はもう手遅れじゃね?

と、だんだんめんどくさくなってきたのでこのへんで。

2010年4月10日土曜日

埼玉は男女不平等

読売新聞2010年4月10日朝刊の記事を紹介する。
前回に引き続き埼玉ネタ。

男女平等度 鳥取が1位 最下位は埼玉

 東北大の吉田浩教授(公共経済学)は9日、都道府県別の「男女平等度」ランキングを発表した。トップは鳥取県で、最下位は埼玉県だった。
 吉田教授によると、男女平等に関する国際比較はあるが、都道府県別の比較は初めてという。
 調査は、男女平等の先進国として知られるノルウェーの統計局が採用している「男女平等度指数」の推計手法に基づいて行った。都道府県ごとに、女性の大卒者数や議員の割合、給与水準など、9項目について4段階で指数化し、平均値で順位を付けた。
 その結果、働く女性の割合など4項目で最高評価を得た鳥取県がトップ。反対に、男性に比べた女性の給与水準など4項目で最低評価となった埼玉県が最下位に。東京都は沖縄県と並び6位。
 地方別では中国、四国、関西、中部が高く、九州、東北、北海道が低い傾向が見られた。
 吉田教授は「『かかあ天下』と言われる群馬県が30位になるなど、イメージとは違う結果もあった」としている。

なるほど。

埼玉の女性は向学心が無く政治に無関心でバイトなどの低賃金で働く傾向があるのか。

じゃなくて、

埼玉の女性は向学心があるものの外的要因によってそれを邪魔され、政治に関心があるものの外的要因によってそれを無視され、経済的欲求が高く勤労意欲があるものの外的要因によってそれを実現できないでいるのか。

まあ、どっちでもいいわ。

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2010年4月4日日曜日

地元愛

読売新聞2010年4月2日朝刊の記事を紹介する。

「愛着感じる」 本県最下位 ご当地愛ランキング

 リクルートが行った都道府県民の地元への愛着度調査「ご当地愛ランキング」で、「とても愛着を感じる」と回答した人の割合の最下位は埼玉だった。同社の「じゃらんリサーチセンター」が発表した。  調査は、18歳まで最も長く暮らした都道府県に住んでいる6451人を対象に、インターネットで行ったという。回収率は73%。
 「地元に愛着を感じるか」の問いに、「とても感じる」と答えた割合が、埼玉は16%で47位。46位の山形とともに2割を切った。
 トップは沖縄の65%。2位は北海道の63%。関東7都県では、神奈川の45%が最も高かった。
 地元に旅行客が来てほしいかどうかを尋ねた「旅行のおすすめ度ランキング」でも埼玉は最下位。「ぜひ来てほしい」と回答したのはわずか5%だった。46位の愛知県でも17%で、全国で唯一、1割を切っていた。
 リクルート広報部は「東京都が近いため、勤務先は都内で自宅が県内というように、立地的に愛着を持ちづらい側面があるのではないか」と分析している。

この記事を読んでも何も思わない私は生粋の埼玉県人なんだろうな。実際のところ、地元に愛着は感じているけど、「とても感じる」かと言われると、「普通ですけど・・・」としか答えられないし。地元に旅行客が来てほしいかと聞かれても、旅行に興味が無い私には埼玉の観光ポイントも知らないし。だからと言って「愛着を感じない」とは違う気がするんだけど。

と思って「愛着」をgoo辞書で調べてみた。

・対象を追い求めること。むさぼりの心をもって、物にとらわれること。渇愛。
・恋愛感情や性的欲望によって異性愛に執着すること。愛執(あいしゆう)。

なるほど。 そう定義されると、やはり私は埼玉に愛着は感じていないということになる。ちなみに、私は十万石饅頭を食べたことが無い・・・。

ま、いっか。

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2010年3月28日日曜日

映画いろいろ

ブログに書くような新聞記事も無いので、最近観た映画を3作ほど。


■エクトプラズム 怨霊の棲む家

1987年、コネチカットの町サジントン。メリデン・アベニューの長い間誰も住んでいなかった家に越してきたばかりの家族に、想像を絶する戦慄が襲いかかる・・・・・・。息子の癌治療のためにコネチカットの古い家に移り住むことになったキャンベル一家。一見、魅力的なビクトリア朝式の家に入居してまもなく、彼らはその家の不気味な過去を知ることになる。家の裏にある小さな墓地、地下室にある死体防腐処理室、そして不気味な死体の写真でいっぱいの引き出し。そう、彼らが移り住んだのは、じつは数十年前に葬儀場として使われていた家だったのだ。その事実が判明したのとほぼ同時に、一家は常識では説明できない超常現象を体験し始める。奇妙な物音や気温の変化、正体不明の“人物”の出現・・・・・・。だが、彼らは自分たちが何を相手にしているのかを知らなかった。

出演:バージニア・マドセン、カイル・ガルナー、マーティン・ドノバン、アマンダ・クルー、イライアス・コーティアス
監督:ピーター・コーンウェル

【公式サイトより】

見どころは、まぶたをハサミで切り取るシーンかな。あんまり覚えてない…。


■パラノーマル・アクティビティ

平凡な一軒家で幸せに暮す若いカップル。しかし毎晩寝付いた後に家の様子が変わっていることに気づく。少女の頃から不可思議なことが起き続けているケイティは、その原因 は自分にあるのではと感じていた。彼女の恋人であるミカは自分たちの家に起こっている”何か”をはっきりさせるため、生活の一部始終をビデオカメラで撮影することにする。テープが回り始め、ミカの執着が大きくなっていく一方で、ケイティは不安を募らせていた。なぜならその”何か”は、ビデオカメラで撮影されることを嫌がっているような気がしたのだ。ミカはケイティの忠告には耳を傾けず、自らの家と、自らが愛する女性を守るため、カメラを回し続けることを決断する。真夜中、2人が眠りについた後、何が起きているのか。ビデオには衝撃の映像が映っていた・・・。

出演:ケイティ・フェザーストーン、ミカ・スロート
監督:オーレン・ペリ

【公式サイトより】

モキュメンタリーの手法を使い、低予算でヒットしたということで、ブレア・ウィッチ・プロジェクトを彷彿とさせると言われている。上映時間が86分なんだけど、これが2時間だったら見ていられないな。作中にネタになるものが一つしか無いので、途中で少しダレる。ラストシーンは賛否あるだろうけど、まあ他に「終わらせ方」が無かったんだろうな。とりあえず、嫌いじゃないけど、前評判が過大評価だった感じ。


■インビクタス/負けざる者たち

その人の名は、ネルソン・マンデラ。南アフリカの大統領だったと言えば、遠い存在だと思うだろうか。けれども、彼の起こした”奇跡”に触れれば、あなたの中で、きっと何かが変わる――。それは1995年のこと。マンデラはラグビーのワールドカップで、国の恥とまで言われた南ア代表チームを初出場初優勝へと導いた。そして、その勝利の瞬間、一国の歴史が永遠に変わってしまったのだ。いったい彼はどうやって、この偉業を成し遂げたのか――?

出演:モーガン・フリーマン、マット・デイモン
監督:クリント・イーストウッド

【公式サイトより】

ノンフィクションです。実際にあった話。しかも、一口に「困難」なんて言っても、そのレベルは想像を絶する。こんなに心震える作品は久しぶりに観た。しかし残念なのは、映画という枠組みで作られたため上映時間が132分で、この話を伝えるには短すぎる。約2時間に収めるためにかなり端折っているので、テンポが良すぎてせっかくの重厚感が失われている。

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2010年3月13日土曜日

学者の本分

読売新聞2010年3月5日朝刊の記事を紹介する。少し長いが全文を掲載するため、読むのが面倒な方は下に要点をあげたのでそれを見てください。

拝啓 文部科学大臣様
著作刊行 学者の命綱
猪口孝 新潟県立大学

 学者は、真理のの追求に一生を費やす不思議な人種であることは間違いありません。その学者の世界は、要するに読み書きの世界です。よむと言う作業に革命をもたらしたのは、グーテンベルクによる活版印刷術の発明です。
 例えば仏教ではそれまで、写経と称して、極端な忍耐と持続力をもって筆を使い、経典を写しました。印刷術によって初めて様々な考えがとても広く読まれるようになりました。グーテンベルクなしに、今日の我々はないのです。
 とても広くといっっても、学者の書くものをたくさんの人が読むわけがないのは、動かしようのない事実です。広くとは、世界のあちこちの学者にという意味です。大臣に強く訴えたいのは、そのような世界に生息している学者の命の綱としているのが、印刷した著作だということです。
 命の綱なんて大げさな、という印象を持たれるかもしれませんが、これは紛れもない事実です。フランスの哲学者デカルトは「我思う、故に我あり」と宣言しましたが、学者の私はより正しいのは「我著す、故に我あり」だと信じています。書くことによって初めて考えをしっかりと伝える可能性が出てくるのです。
 問題は、印刷機械を動かして本や論文を刊行することが、ひどく難しいという現実です。これでは学者に死刑を宣告したようなものです。学者の本を刊行できる仕組みを作るべきです。
 第一に指摘したいのは、日本にも個々の大学に大学出版会がありますが、極端に零細で、信じられない位ひ弱であるということです。大学の歳入の幾分かを、しっかりと大学出版会の歳出として計上する必要があります。例えば、東京大学の歳入2000億円の0.1%だけでも2億円に上るのです。
 第二に、米国や英国などの学術出版社(大体が大学出版会)と、学術出版とは疎遠な日本の大手出版社との資本提携、経営統合を進めるべきです。執筆でも編集でも販売でも、対象が極めて小さい学術出版は、英語でないと経営がほとんど成り立ちません。
 日本が学術文化で世界の尊敬を集めるためには、グーテンベルクのような劇的革命を日本の出版会でも起こさなければなりません。大臣のご高配を切にお願いします。

要点は以下4点。

  1. グーテンベルク、活版印刷すげー
  2. 学者の著作をたくさんの人が読むわけがない
  3. 現在、本や論文を刊行するのが難しい
  4. 大手出版社は大学出版会を助けろ

1は仰るとおり。2も紛れもない事実。3は原因に2があるからどうしようもない。4は・・・???

よくわかんないんだけど、大切なのは「本」じゃなくて「本の中身」じゃないの?私は紙の書籍が無くなることはないと思ってるけど、紙で読む必要の無いものは沢山あると思う。一昔前なら紙に印刷する以外に複製・流通させる方法が無かったんだろうけど、今では電子データを地球の裏側に瞬時に届けることができるでしょ。

私の学生時代にもこういう教授は沢山いた。自分の著作を教科書として受講者に買わせることが唯一の楽しみなんだろうなー、というタイプ。ちょっとした小遣い稼ぎみたいな。まあ否定はしないけど、それを「命の綱」とか言われても困るよね。結局、コスト意識に欠ける学者たちが旧来の方式にこだわっているだけで、まったく本質的でない。

学者の本分が、学問を追求し、それを広めることであるなら、採算の取れない「本」ではなく、中身のある論文をネットで発表すればいいじゃないか。学者の本なんて多くても数千部くらいでしょ。どうせ広めたいなら60億人を相手にすればいいのに。まあ中身が無ければ今以上にスルーされるだけだろうし、それが怖いのかもねえ。

時代の変化とともに変わるもの、変わらないもの、変わるべきもの、変えてはいけないもの、変わらざるを得ないもの、などなど。色々な考え方があるだろうが、極端に変化を拒む者は文化を停滞させる。こういう人が学長では学生が可哀想だね。

そういやこの人は以前の記事でもトンチンカンなこと言ってたんだっけ。

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2010年2月27日土曜日

政治献金の透明化

読売新聞2010年2月26日朝刊の記事を紹介する。

 クレジットカード大手のクレディセゾンは、カード決済による個人の政治献金の取り扱いを3月16日から始める。業界大手が「カード献金」を扱うのは初めてで、他のカード会社も追随する見通しだ。政党への企業・団体献金は、原則禁止をめぐる議論が与野党間で活発化し、日本経団連も関与をやめる方針で、今後、見込まれる個人献金の拡大に対応する。

これは大歓迎ですね。全てがトレーサブルである必要は無いと思うけど、今までの政治献金は不透明すぎた。先の「故人献金」や「子ども手当」などはその最たる例だろう。他にも帳簿に載らない現ナマがあるかもしれないし、それがあったとしても誰も証明できない。こんなことがまかり通る世界で生真面目にやる奴だけが損をする。それじゃ腐るよね。

今回のクレディセゾンの対応は、企業・団体献金の規制と、それに伴う個人献金の増加を見込んだものだが、一方でカネの流れがトレーサブルになることも非常に重要なポイントだろう。

最近、一部方面でベーシック・インカム(BI)についての議論が活発になっている。批評家の東浩紀はBIの給付分を電子マネーとしたらどうかと提言している。つまりBI給付分のカネの流れは全て記録される。プライバシーを売る、と言い換えてもいいだろう。使い道を記録されたくないカネは働いて稼ぐ。BIや東浩紀の提言の是非はここでは問わないが、カネの使い道をトレーサブルにすることは、いわゆる不正な事にカネを使いにくくする一定の抑止力はあるだろう。

政治家にプライベートを全て晒せなどと言うつもりは無いが、少なくとも有権者の信任を受けて仕事をする以上は、その活動でカネがどのように流れたかを明示できる必要がある。こんな事は小学生でも理解できる論理だ。

他のカード会社はすぐにでも対応してほしいものだ。ちなみに私はVISAカードしか持っていないので、VISAさん、よろしくお願いします。

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2010年2月20日土曜日

自己表現力

読売新聞2010年2月5日朝刊の記事を紹介する。少し長いが全文を掲載するため、読むのが面倒な方は下に要点を3点あげたのでそれを見てください。

拝啓 文部科学大臣様
自己表現力の向上 重視を
猪口孝 新潟県立大学学長

 自己表現力について、私には今でも忸怩たる思いがあります。1970年に米国に留学していた頃、大学の社会科学系の図書館長にある要請をしに行きました。内容は、ある分野の蔵書が弱いとかいったたぐいのことでした。
 小柄な館長の口から返ってきた言葉は、「君は何をしてもいい。ただ、石ころを窓に向かって投げないでくれ!」。私の格好はといえば、ヒゲを蓄え、ジーパン姿。笑顔もなく、ぶっきらぼうで、単刀直入な英語だったのかもしれません。それにしても、自分の表現力には絶望しました。
 その後、教える立場になり、世界のあちこちで講義や講演をしてきましたが、日本の学生はひいき目に見ても自己表現力が弱いと言わざるをえません。「質問がないか」と聞くと、「ない」と答えるのが日本、ありすぎて困るのが米国とインド。韓国や中国でもよく質問が出ます。
 なぜ質問がないのでしょうか。第一に、日頃から物事を深く考えることがないのかもしれない。第二に、自分の意見や気持ちを表現するのが苦手なのかもしれない。第三に、人前で立ち上がって質問することをダサイと思っているのかもしれません。
 グローバル化が着実に深化していく中、自己表現力が弱い学生は圧倒的に不利です。自分の存在をしっかりとした言葉でアピールする能力を向上させるよう、大学教育はもっと力を入れるべきです。
 私自身を振り返ると、大量の読書の上に、分析を通して議論を展開しようとする時、自分は何をどのように論じようとしているのか、明晰に書けていないことにいつもやりきれなさを覚えていました。分かってはいても、自分の考えを丁寧に、正確に、首尾一貫した論理で、しかも説得的に表現することが今でも容易でない。英語だから難しいのは当然だとして、自己表現力の弱さを英語の問題にすりかえ、自己表現力向上への努力を怠っていたのです。
 このままでは、国語もダメ、英語もダメ、自己表現力もダメな学生がどんどん増えていくのではないか。自己表現力という問題の重要性を認識し、その対策を取れば、日本の大学教育の弱点の半分は解決する方向に向かうことは間違いありません。大臣の御高配を祈願します。

要点は以下3点。

  1. 日本の学生は自己表現力が弱い
  2. これでは世界で戦えない
  3. 日本の大学は自己表現力対策をすべき

1と2は概ね同意。日本の教育では大量のインプットをそのままアウトプットすることで進級できるため、基本的には記憶力がモノを言う。自己表現力に必要なことは、インプットを「加工してアウトプット」する能力である。加工して自分の中に留めておくだけでは自己啓発にはなるかもしれないが、周囲から見れば何も存在しないのと同義である。日本人はここが圧倒的に弱い。一人遊びは得意だけど、それを共有するスキルが弱い。「加工してアウトプット」する能力を向上させるためには次のサイクルを繰り返すだけでいい。

五感でインプット → 考える → 書く、話す

能力向上の近道(コツ)はあるだろうけど、まずはこれをひたすら繰り返す。勉強だけでなく、遊びでも普段の生活のことでも構わない。繰り返すことで必ず能力は向上する。ただし条件が一つだけある。長期間続けること、訓練ではなく習慣にすること。一週間や一ヶ月でどうにかなるものではない。

さて、要点の3つ目。これは半分同意で、もう半分は微妙なところ。というのも、この寄稿文はおそらく学生に対して自己表現力対策をすべきという意味で書いていると思われる。しかし、自己表現力対策をすべきは残念ながら学生ではなく(より前に)大学教授である。これは二流三流大学のことだけではなく、いわゆる一流と言われる大学でも同様だ。大学生活をしたことがある人は思い出してほしい。自己表現力が高い教授は多く見積もっても3割程度だろう。優しい人なら5割程度と言うかもしれない。つまり半分以上の大学教授は自己表現力がダメと言わざるをえない。

なぜこんなことになっているのか。それは大学教授になる過程でコミュニケーション能力は問われないからである。この場合のコミュニケーション能力とは、自分より経験・知識・技術で劣る者との対話能力のことだ。自分と同レベルの教授や知識人といくら対話ができても、大学教授の仕事の1つである講義で学生と対話ができなければ教授失格である。

この寄稿文は素晴らしいものだと思うが、猪口孝はこの寄稿文をまず自学の教授たちに読ませ、教授たち自身の問題であることを伝えてください。新潟県立大学の未来が楽しみです。

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2010年2月14日日曜日

論理≠真理

読売新聞2010年2月10日朝刊の記事を紹介する。

裁判員「主張分かりにくい」
弁護側、検察側の9倍

 裁判員裁判での弁護側の主張や立証が分かりにくいと感じた裁判員経験者の割合が、検察側の主張などを分かりにくいとした人の9倍に上ったことが、最高裁が9日に公表したアンケート結果でわかった。
 アンケートには、昨年11月末までに判決が出た77件の裁判で裁判員を経験した442人が回答。「法廷での説明などの分かりやすさ」を尋ねたところ、検察側の主張や立証を「分かりにくかった」とした人は5人(1.1%)だったのに対し、弁護側は44人(10.0%)に上った。一方、81.9%が検察側の主張や立証を「分かりやすかった」と回答。弁護側は52.3%にとどまった。

この記事を読んでまず思ったのは「どんだけ無茶な論理で弁護してんだよ!」だった。まあ弁護士の仕事は依頼人を守ることだから、どんなに依頼人が不利な状況でもなんとか助けるための糸口を探し、それすら困難な場合はあらゆる言葉を使い「心証」に訴えかける。想像だけど、弁護士自身も「さすがにこれは無茶だな・・・」と思いながら弁護することも多いだろう。本当に大変な仕事だ。

では検察は「無茶な論理」で被告を追求することはあるのだろうか?最近話題になっている小沢一郎の周辺での政治資金規正法がらみの件では、検察が「無茶な論理」で小沢一郎を起訴しようとしたのではないか、とも言われている。また、検察は一旦起訴した案件で負けると検察内部での評価に響くので、有罪に持ち込むためには「無茶な論理」も使うらしい。

上記は伝聞だし、私は当事者になったことが無いので本当のところは分からないが、一般的に「正しいこと」をすると思われている人たちが「無茶な論理」を振りかざすことは、実は結構多いのかもしれない。

法曹関係者が常に正しいとは限らない。市民感覚が常に正しいとも限らない。そもそも「正しい」かどうかなんて人によって、国によって、時代によって、異なることが少なくない。

あなたは「無茶な論理」を振りかざしていませんか?

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2010年2月6日土曜日

死者は生者を助ける

読売新聞2010年1月22日朝刊の”編集手帳”から一部抜粋して紹介する。

◆欧米にくらべて遅れている検視制度を改るべく、警察庁が近く研究会を発足させるという◆警察が一昨年扱った”異状死”約16万体のうち、検視官が現場に立ち会ったのは9.7%にとどまる。解剖せずに「自殺」と判断して犯罪が見逃された事例がなかったかどうか。研究会は検視官や解剖医の増員に向けた具体策などを議論するという

近頃話題の結婚詐欺殺人容疑女に関連して書かれたのだろうか。 まあそれはそれとして、たったの9.7%というのは「異常」だろう。しかもこの数値は検視官が現場に立ち会ったケースであり、実際に解剖されたケースはさらに少ないはずである。現役医師で作家の海堂尊の著書(なんだったか忘れた)によれば5%無かった気がする。ちなみに異状死とは超簡単に言うと「よくわからない死」のことである。「よくわからない」というのは犯罪による死の可能性があるということだ。犯罪の可能性があるにもかかわらず、ほとんど解剖されない理由は次の2つである。

  1. 解剖医の不足
  2. 解剖にかかる費用

1については、医師の気持ちとしてエキサイティングじゃないから志望する人が少ないのではないか。「死体をいじるのは研修で十分」、「医師は病気を治すもの」と考えていれば解剖医の選択肢は無いだろう。まあこれは推測だが。

2については、司法解剖の場合は国がお金を出してくれるのだが、1体の解剖でたったの7万円である。実際には解剖にかかる費用、組織の検査、臓器の保存、その他の様々な費用がかかるため、解剖するたびに病院の持ち出しとなる。なぜこのような事態となっているのかがよくわかる一文を紹介する。パトリシア・コーンウェルの女性検屍官シリーズの『接触』で主人公の検視官が同僚に嘆いた言葉だ。

私たちが十分な予算をもらえることは絶対にないわ。
死人は投票しないから。

予算の増額はもちろん望むところだが、解剖にかかる費用や解剖医不足を補う方法として海堂尊はAI(オートプシー・イメージング)を推奨している。AIとは死亡時画像診断や死亡時画像病理診断のことである。AIを実施することにより、目視による体表の確認だけではわからない体内の異常を確認し、解剖が必要かどうかの切り分けができる。この切り分けが非常に大事で、これが行われなかったために何らかの犯罪性の異常を見落としてきたケースが無かったとは言えない。我々の想像以上に日常の中に「殺人」が潜んでいるかもしれない。

安心して暮らせる国を作るためにも、現在の検視制度を早急に見直す必要がある。

本記事とは直接の関係は無いが、パトリシア・コーンウェルの女性検屍官シリーズの翻訳者である相原真理子が1月29日に亡くなった。謹んで哀悼の意を表します。

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2010年1月21日木曜日

世界は独善的か?

読売新聞2010年1月20日朝刊の記事を紹介する。
これは、地下鉄サリン事件等で殺人罪などに問われた元オウム真理教幹部、新実智光被告の死刑判決が確定したことを伝える記事の一部だ。

逮捕後、多くの教団幹部が松本死刑囚と決別したのに対し、新実被告は公判で、なお弟子であることを宣言。犯行についても、「多数を救済するため、少数を犠牲にするのはやむを得ないと考えた」などと独善的な論理を振りかざし、被害者らにも「被害を受けたのは因果応報」と言い放った。

新実被告が実行した数々の犯罪はまさに独善的と言わざるを得ない。また、「被害を受けたのは因果応報」という言い分は妄想に取り憑かれた狂人のそれとしか思えない。しかし、「多数を救済するため、少数を犠牲にするのはやむを得ないと考えた」という論理は独善的なのだろうか?
私はそうは思わない。

goo辞書によると独善、独善的の意味は以下の通り。

■独善
 ・自分ひとりが正しいと考えること。ひとりよがり。
 ・自分ひとりの身を正しく修めること。
■独善的
 ・ひとりよがりであるさま。

さて、「多数を救済するため、少数を犠牲にするのはやむを得ないと考えた」ことが独善的であるとするならば、世界で起こっていることのほぼ全てが独善的であると言わざるを得ない。なぜならそれは民主的な行動の最も基本的な論理であるからだ。この記事を書いた記者がそれを独善的だと考えているならもう何も言う事はない。しかし、そうでないならなぜこのような表現をしたのか。

このケースでは新実被告というわかりやすい「一般市民の敵」がいて、その罪が確定している。本来はそれだけで十分なのだが、記者としては物足りない。読者を引き寄せるにはできるだけインパクトの強い言葉を使う必要がある。一般市民の味方であるジャーナリストとしては、もっと「わかりやすい」悪に仕立て上げることが一般市民の欲求を満たすことだと考える。この記者はそう考えたのではないだろうか。とても単純な論法だ。やっていることは三流ゴシップ誌と変わらない。このような妄想で書かれた記事こそがまさに「独善的」と言える。

マスコミ企業が思想を持つことは否定しない。人間の行動に必ず何かしらの思想に基づくことは間違いない。 大切なのは、中立・公正を謳う人間も思想を持っているということを認識し、あらゆる情報にそれが紛れ込んでいることに気付く力を養うことだ。その上でそれをどう理解するかは自分次第である。

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2010年1月17日日曜日

キャリアパスは誰のもの?

読売新聞2010年1月16日朝刊の一部を抜粋して紹介する。

転職支援サービスのパソナキャリアが、企業内などでの昇進・昇格の道筋や条件などを指す「キャリアパス」について、転職希望者に尋ねたところ、51.7%が「会社はキャリアパスを提示すべきだ」と答えた。 どんな成果を上げ、どんな資格を取れば、次にどんな仕事ができるのかなどの道筋を明確にしてほしい、と大半が考えている実態が明らかになった。

企業が従業員の評価軸としてキャリアパスを設定することは否定しないが、本来キャリアパスとは自分自身で設定するものだ。過去の経験の棚卸をして、現在の能力を客観的に評価して、将来の目標を明確にする。これを従業員本人が会社に提示して共有する。ここで、本人と会社の意向にズレがある場合、というか必ずある。その場合にどうするか。

  1. 会社の意向に沿って頑張り、自分の意向は諦める。
  2. 会社の意向に沿って頑張りながら、自分の意向をアピールし続ける。
  3. 会社の意向に愚痴り続け、自分の意向をアピールし続ける。
  4. 会社の意向を無視し、自分の意向のみを実行する。
  5. ホントはキャリアパスとか興味ねーし、適当にやるッス。

1は結構多いんじゃないかな。
会社にはこういう人が必要だったりします。
定年までしっかり勤め上げるタイプ。

2は面白いですね。
今やるべきことをしっかりやった上で、正当な権利として主張する。
少しずつ会社を変えていくタイプ。良くも悪くも。

3はアレですね。
コンサルタント?に憧れる無能力者に多い。
一緒に仕事はしたくないタイプ。

4は紙一重ですね。
大物かボンクラか。
転職や独立をお勧めします。

5は必要悪ですね。
ある程度の人数が集まるとこのタイプが必ず存在する。
簡単な作業を与えておきましょう。

キャリアパスとはライフプランの一部です。何を考え、何を行い、どのように生きていきたいか。冒頭の記事を読んだだけではどういう思いで回答されたのか、質問の仕方によって誘導された回答は無いのか、などわかりませんが、キャリアパスの提示を会社に求めるということは自分の人生を会社まかせにすることと同義です。それをどう受け止めるかは自由ですが。

最後に一つ。
転職未経験者は今後転職するしないに関わらず、職務経歴書を書いてみてください。今までに何をしてきたか、今何ができるかを可視化してください。「会社」ではなく「社会」がそれにいくらの値段を付けるかを常に意識してみましょう。

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2010年1月15日金曜日

死に方の選択

読売新聞2010年1月13日朝刊の一部を抜粋して紹介する。

自殺ほう助 規制強化へ
スイスが審議中 安楽死組織は反発

医師などによる自殺ほう助が法律で事実上認められてきたスイスで、政府が法律を改正して規制強化を目指す方針を打ち出した。自殺ほう助の多発を抑えるのが狙いとみられるが、国内の安楽死支援組織は「規制強化は不必要だ」と強く反発している。

スイス刑法には、「利己的な動機による自殺ほう助」しか処罰の対象としていない。

チューリヒでは、約5万人の会員を擁する安楽死支援組織「エグジット」が活動する。年会費45スイスフラン(約4000円)を支払い続ければ、不治の病などで死を選びたくなった際、一定の条件を満たせば、面談による意思の確認、必要な書類作成や自殺の手助けをする。

さて、現在日本では安楽死が認められていない。病に苦しむ人、人生に疲れた人、様々な理由により死を望む人はある程度いると考えられる。彼らは生きることが苦痛でしかない。その苦痛を取り払うために死を望むが、現在の日本では自殺以外に方法が無い。自殺をサポートする制度が無い日本で自殺をすると、周囲に非常に迷惑をかけることになる。それがさらに自殺志願者の心に重くのしかかる。

あーダメだ。
なんか面倒になってきた。
というわけでハッキリ書こう。

死を望む人が安心して死ねるシステムを早急に作るべきだ。

これはだいぶ前から思っていた。
このシステムが稼働した場合のデメリットは、

  1. 周囲が悲しむ
  2. 仕事で迷惑をかける
  3. システムを悪用した合法的殺人
  4. 希望者多数による人口への影響

くらいだろうか。
1については、本人と周囲が十分話し合うことで解決が可能で、万一理解されない場合でも本人の意思が尊重されるべきと考える。2については、迷惑をかけないようにきちんと処理しておくこと必要となる。3については、それほど気にすることはないと考える。そんなことをする人はこのシステムが無くてもやるだろう。4についても、それほど気にすることはないと考える。このシステムを自殺とするなら、今よりは自殺が増えるだろう。しかしそれは誤差の範囲程度というか、実際は死ぬのって大変なことで、そんなに「俺も私も」とはならない気がする。というわけでデメリットと書いたが、どれも心配するほどのものではない。

本気で死を望む人の声をあなたは聞いたことがあるだろうか。
私は無い。
しかし想像する。
意思に反して「生かされる」ことは拷問以外の何物でもないと。

人権とは何か。
この機会に考えてみてはどうだろうか。

先日たまたま読んだ久坂部羊の著書「破裂」には偶然にも「死のシステム」について書かれており、高齢者社会の問題と紐付けていたのも興味深かった。高齢者社会の問題については別の機会に書きたいと思う。

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2010年1月13日水曜日

商人と職人

ユニクロはなぜ成功したのか?

  1. サイズが豊富
  2. カラーが豊富

この2点のみだ。どんな体型の人がユニクロに行っても着られるサイズが必ずある。平均的な体型の人は実感しないと思うが、小さい人、大きい人にとっては重要だ。カラーの趣味は人それぞれだが、それらを満たすカラーバリエーション。つまり、体型やカラーの趣味にかかわらず誰が行っても必ず着られる服が売っている。これが成功の理由である。

しかし、誰でも着られる服を作るには奇抜なデザインではダメ。当たり障りの無いデザインとなる。だからこそ他のどのようなアイテムにも合わせやすいという側面もある。

さて、読売新聞2010年1月12日朝刊に掲載されたファーストリテイリングの柳井正の言葉を紹介しよう。

「ファッションに地域性や文化性はない。」

これはまさに前述したユニクロの成功理由を表現している。そもそもデザインとは地域性や文化性の塊である。しかし柳井正は上記のように考え、限りなくフラットなデザインの商品を作り続けて今のユニクロが出来上がった。つまり商売のためにデザイン勝負は降りたのだ。商人としては正しい選択である。

にもかかわらず、最近のユニクロは「お洒落な服」を作ろうとしてデザイン勝負を始めた。職人としては正しい選択である。職人はビジネスに流されずファッションデザインのことだけを考えればいい。商人として成功した柳井正が職人の土俵に上がった。そこでもう一度新聞の言葉を思い出してみよう。

「ファッションに地域性や文化性はない。」

これを聞いたユニクロの職人達は、この人のため、この会社のために全力を尽くせるだろうか?世の中のほぼ全てのビジネスは商人と職人のバランスで成り立っている。このバランスが悪いと成功することは難しい。

柳井正がどのようにバランスを取るか。
楽しく見させてもらおう。

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2010年1月11日月曜日

香山リカのミス

近頃話題の香山リカvs勝間和代。

私は両者ともに好きでも嫌いでもないが、思うところはある。ちなみに両者の本は1冊も読んだことがない。というわけで妄想開始。

勝間和代の主張の本質は、「自己実現の一番の近道は努力」、である。そこに勝間和代のキャラクターによる脚色として、「努力は苦しくない、楽しい」だとか「年収600万円」だとか「結局キレイが勝ち」などが付いてくる。それらはあくまで脚色であり、本質ではない。

香山リカはこの脚色部分(≒勝間和代のキャラクター)に釣られている。にもかかわらず、本質である「努力」を批判する。キャラクターに釣られているんだからキャラクターを徹底的に批判していればいいものを、何を勘違いしたのか本質である努力を批判してしまう。このトンチンカンに本人は気づいていないのだろう。だから、「努力以外の自己実現の近道を提示する」という最も論理的な返しを勝間和代に対してできない。まあそんなものがあればの話ですが。

比較的容易な自己実現だけであれば努力は必要ない、ように感じるかもしれませんが、努力のレベルの問題であって努力が不要というわけではない。努力を放棄した人間だらけの世界を想像してみてください。すいません。自分で言っておきながら私は想像できません。

香山リカよ、「努力なしに得られるものなど無い」。

ところで、勝間和代にもちょっとだけ。私は努力が苦しいし楽しくない。目標が高ければ高いほど。そんなものは努力じゃない、なんて言わないでね。年収600万、欲しい!結局キレイが勝ち、これだけはあなたが言っちゃダメ。勝間和代を知っている人間のうちおそらく半数以上は同意できないだろう。個性的な顔ではあるがキレイじゃないし、キレイじゃなく勝った人に説得力はゼロ。まあキレイの定義なんて人それぞれだけどね。ただし、キレイになろうと「努力」することは悪くない。

というわけで、
よ~く考えよ~、努力は大事だよ~♪

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